Masukエデン王国。
その王宮の玉座がある広間の奥にある執務室で、カシューはフレンドリストを開いていた。そしてそこに表示された<カリナ>の文字が白く光っている。これはその者がログインしているという証拠である。
ステータス機能などのゲームの機能の大半が消失してしまったが、PCなら誰もが左手首に装着している<冒険者の腕輪>に設置されている赤いボタンを押せば、今でもフレンドリストや現在位置を示すマップ、所属しているギルドなどの情報を確認することができた。だが、インしたばかりで混乱の最中にあるカリナはそのことを失念している。
「ふふふ、まさかカーズではなくてカリナのキャラで戻って来るとはね。こいつは揶揄い甲斐がありそうだ。早く僕の元に来てくれないかなー」
騎士団の諜報部からの報告から、南の平原でゴブリンの群れと共に悪魔が出現し、それをたった一人で退けた召喚魔法を操る魔法剣士が現れたことは耳に入っている。
まさかと思い確認したらそれが友人であり、現在は行方不明扱いの騎士団長カーズのサブキャラ、カリナであったということだ。そして今は王国騎士団と共にこちらに向かっているということだ。
VAOが突然
自由気ままにプレーしていたカリナは特に役職を与えている訳ではないが、所属はこのエデン王国になっている。PCはゲーム開始時点では、初期の5か国のどこかに所属することに決められている。その後は他のPCが創設した国家に所属するか、自ら国家を樹立するなど、選択肢は分かれる。
問題があるとすれば、PCはどこかの国家に所属していないと様々な恩恵が受けられないということだろう。買い物をするにしても高くつくし、国家からクエストの報酬を受け取れなくなる、戦争PvPに参加できない、等々である。そのため、カリナも建前上はエデン王国所属になっている。
暗くなり始めた執務室の窓の外を眺めながら、カシューはカリナの到着が待ち遠しかった。
◆◆◆ 騎士団の騎馬隊の後ろをユニコーンに跨って揺られ続けること数刻、一行はエデン王国の王都に到着した。夕刻にもかかわらず、国内は帰還した騎士団を迎え、一目その勇士を見ようと多くの人々で賑わっていた。その中でもユニコーンに乗った赤髪の美少女に群衆の注目は特に集中していたのだが、カリナは「なんかやたらと見られてるなあ、騎士団が珍しいのか?」と、盛大に勘違いをかましていた。中世世界がコンセプトのVRMMOであったが、エデンの街並みはまるで近代都市の様に発展していた。これが知らない間に過ぎ去った100年の歴史を表しているのかと思うと、カリナは何だか感慨深いものを感じた。
「カシューはこの国をここまで発展させたのか……。並々ならぬ苦労があったんだろうな。いや、寧ろノリノリで発展させたのかもしれないな」
王城前の大通りには通路の左右に出迎えのセレモニーでも催されているかの如く、近衛兵達が整列している。「何もここまで大仰なことをしなくても良いだろうに」と、カリナは内心げんなりしていたのだが。
騎士団が下馬したのに合わせてユニコーンから降り、
「ご苦労だったな、よく考えればお前も100年間俺が放置したことになっているんだろうか? 何だか申し訳なかった。また宜しく頼むぞ」
そう言ってユニコーンの頭を一撫でし、召喚を解除すると同時にユニコーンは嘶き光の中に消えて行った。
副騎士団長の一声で、王城の巨大な門が開かれる。ここからは一般の騎士達は立ち入ることはできないのか、彼らは門の外からカリナとライアンを見送った。
「これから国王様に謁見する。その前にその俺口調はどうにかならないのか? 失礼に当たるかもしれないし、そんな絶世の美女には似合わないと思うのだが……」
ライアンが気になっていたことを言ってきた。やはりこの見た目で一人称「俺」は違和感しかないのだろう。だが、これが和士が男性であることの自認なのである。そう簡単に女性の口調を真似できるはずがないし、何よりそんな行動をする自分自身が気持ち悪い。
「いやー、今更そんなこと言われてもなぁ……。今までもずっとこの調子だったし、女言葉を使うのは何か気持ち悪い……」
「いやいや、女言葉って、カリナ嬢ちゃんは女だろ? 何で気持ち悪いんだよ」
まあライアンにとっては目の前の少女の姿しか目に入ってないのだから、和士の内面の葛藤など当然知る由もない。装備もあまり露出がない物を身に付けてはいる。性能の関係で膝下丈の太腿までのスリットが入ったスカートは履いているが、これもかなり悩んだ上で妥協して身に付けているものだ。
「えー、気持ち悪いものは気持ち悪いじゃん。まあ王様の前では上手くやるから」
フォーマルな場で一人称を「私」に変えて丁寧語で喋ることくらいは問題ない。だが普段までそうしてしまうと、自分という自我が歪んでしまいそうで怖くなる。ただでさえ外見が完全に女性なのだから口調まで変えてしまうと、内心の男性が悲鳴を上げる。
「そうか、まあとりあえず無礼のないように頼むぞ」
ゲーム内では100年経っているとしても、ただの友人に会うだけに過ぎないのにそんなに畏まったまるかという思いが和士にはあった。実際今の姿が女性キャラのカリナであったとしてもである。
玉座の間の扉が開かれる。左右に国の恐らく重臣達が控えている中を進む。玉座は段差が高い所に設置されているのだが、その手前までで立ち止まる。ライアンは赤い絨毯が敷かれた黒いラインの手前で跪いた。カリナはその少し後ろで立ち止まった。
「王国騎士団ただいま魔物の討伐より帰還致しました。この度は伯爵位の悪魔がゴブリンを率いており、苦戦は覚悟しておりましたが、そこに居合わせたこのカリナという召喚術を操る少女のお陰で掃討に成功致しました」
「ほう」、とまるで少年の様な声が玉座から返って来た。100年も経っていると聞いていたが、カシューの声はこれまで共に冒険をしてきたそのときのままの様だった。下から見上げるその姿も国王と言うよりあの頃のままの青年の姿だった。
「なるほど、カリナと言ったか? 報告によるとかなり高位の召喚術に剣技、体術までこなすと聞いた。我が国は今非常に人材に困っている。そこで行方不明の騎士団長カーズの穴を埋めるためにも是非力を貸して欲しい。構わないか?」
なるほど、ちゃんと国王様を皆の前では演じているということかと理解したカリナは、どうせこの後素に戻って雑談ができるだろうとすぐに理解した。ならば断るのは野暮というものである。
「なるほど私の力程度が必要なら幾らでもお貸し致しましょう、カシュー王よ」
と、その場でスカートの両端を摘まんでカーテシーをした。その時お互いの目が合ったので、両者は同時にウインクをしてアイコンタクトをした。
間違いない。長い時間が過ぎている様だが互いの友情は薄れてはいないらしい。
「カリナにはカーズに与えた宮殿内の居住区を使ってもらう。何か問題がある者はいるか?」
かつて使っていた付き人付きの豪華な居住区に自室まで使わせてくれるのか。このキャラでは基本根なし草だったので寛げる場所があるのはありがたい。カリナはカシューの心遣いに感謝した。
「異議ありです、陛下! こんなどこの馬の骨ともわからぬ小娘に、行方不明とはいえカーズ騎士団長の部屋を使わせるなど正気ですか?!」
カシューの両脇に控えていた右手側の人物、近衛騎士団長のクラウスが声を上げた。まあ当然の反応である。「そりゃそうなるよね……」とカリナも内心そう思った。「確かにそこまでの待遇は……、王国副騎士団長の私としても納得がいきません」
ライアンも顔を上げて意見を述べた。玉座の間がざわつき出す。さてさて、カシューのお手並み拝見といこうかとカリナは内心ニヤニヤした。
「ほう、お前達は私の決定に異を唱えるというのか?」
青年王はその見た目に似合わない威厳ある口調で言い放った。異論を述べた二人がその圧力に気圧される。
「まあまあ、陛下にも何かお考えがあるのでしょう。それを拝聴してからでも良いでしょう。ですよね、陛下?」
カシューの左側に佇んでいた執政官風の衣装を纏ったエルフのアステリオンがにこやかに口を挟んだ。
「むぅ、それは……」
「それは……、勿論陛下には何かしらのお考えがあるのであろう」
クラウスもライアンもそれ以上反論せずにカシューの言葉を待つ。
「ふっ、いやなに、カーズには歳の離れた妹がいるのだ。私もかつて一度だけ出会ったことがある。そして召喚士を目指しており、剣技は兄に勝るとも劣らない資質を秘めているという、カリナという妹がな。そうだろう、カリナよ?」
そう来たか! 全く悪知恵が働くスピードはあの頃のままである。ならばこちらも全力で乗るしかないとカリナは即座に切り替えた。
「左様でございます。当時はお世話になりました陛下。覚えておいて頂いて感激です。あれから研鑚を積み、召喚術も剣技も磨きをかけて参りました」
「な、なんと……! カーズ隊長に妹君がおられたのか!?」
「何だ、そういうことだったのか。カリナ嬢ちゃんも最初に言ってくれれば……」
あっさりと騙されるクラウスとライアン。カーズがカシューと共にエデンを建国したのは100年前ということになるというのに、そんなに簡単に信じるとは。この国は大丈夫なのかとカリナは思った。
「まあ何にせよだ。カリナよ近くでその顔を久しぶりに見せてくれまいか?」
「はい、陛下」
そのまま玉座への階段を昇ろうとしたとき、クラウスが抜刀し、剣先をカリナの方へと向けて来た。
「待て、いくら何でもいきなり陛下に近づける訳にはいかぬ。私はまだ完全に信用したわけではない!」
「その陛下に来いって言われたんだけど。邪魔しないでくれるかな」
剣先を右手の親指と人差し指でちょんと摘む。クラウスは少女が軽く摘まんだだけでその剣を微動だにできなくなった。そのまま階段を昇り、カシューの目前に立つ。クラウスは指先だけで引き摺られ、無様な姿を晒すことになった。城内に笑い声が響き渡った。
「なっ?! 馬鹿な! 何という力なのだ!」
剣を握ったままのクラウスにカシューが声をかける。
「クラウスよ、お前は私がそこまで信用できないというのか? これ以上私を不愉快にさせるな」
「ぐっ……、申し訳ありませぬ」
クラウスが剣から手を放したので、カリナも摘んでいた剣を解放すると、その剣はクラウスの目の前に転がった。
「ふむ、やはり成長したな。見た目はそこまで変化していないが、美しくなったものだ」
「陛下もお変わりないようで安心しました」
軽口のロールプレイを済ませると、お互いにニヤニヤと笑う。
「積もる話もあるので、後で私の執務室に一人で来るといい。魔物と戦ったばかりで汚れてもいよう。アステリオン、部屋まで案内してやれ。着替えもメイド達に用意させよう。ではまた後程語らうことができるのを楽しみにしておるぞ、カリナよ」
「ハッ、お任せ下さい」
アステリオンが仰々しく跪いて返事をする。
「わかりました、では後程お伺いさせていただきます」
カリナもそう言ってお辞儀をし、アステリオンに連れられて元カーズ(メインキャラ)が使っていた部屋へと案内されることとなった。
疲労で仰向けに倒れ込んだカリナは、まだ明るい空を見上げていた。VAOがゲームのときは、その中で身体を動かしても、実際には現実の身体を動かしてはいない。そのため、長時間のプレイで精神的に疲れることがあっても肉体に疲労感を感じることなどなかった。しかし、今のこの世界は現実世界と何ら変わりない。身体に感じる疲労感がそのことを物語っていた。「長時間の戦闘には気を付けないといけないな……」 攻撃を躱す時に擦り減る神経。接触した際に響く衝撃。敵を斬り裂き、殴り飛ばすときに感じるリアルな感触。どれもが僅かだが、少しずつ疲労を蓄積させる。ゲーム内でのステータスは見えないが、これまでに鍛え抜いたものがあるだけに、現実世界で急激な運動をしたとき程の負担がある訳ではないが、ある程度の自分の限界は見定めておくべきだと思うのだった。 深呼吸をしてから、ゆっくりと立ち上がる。身に纏っていた聖衣が解除され、ペガサスの姿に戻る。同時に二対の黄金の剣に姿を変えていた蟹のプレセペも元の姿に戻った。「ご苦労だったなお前達、また力を貸してくれ」 ペガサスの頭と巨大な蟹の背中を撫でる。「所詮は伯爵レベルよな。我の力があれば主も余裕であっただろう。では次の機会を楽しみにしているぞ」 大口を叩く巨蟹のプレセペ。二体の召喚獣は光の粒子に包まれて消えていった。その光が空へ向けて霧散していくのを見守っていると、魔物の討伐を終えたワルキューレの姉妹達が、カリナの下へ集結して来た。「主様、討伐完了致しました。目に着いた怪我人も我々が治療しておきました。燃えていた建物も、ミストの水魔法で消火済みです」 その場に跪いたヒルダが報告する。「そうか、よくやってくれた。感謝する。ありがとう。お前達の御陰で被害は少なくて済んだみたいだな」「私達を即座に現場に送り込んだ主様の判断の御陰ですよ。私達は任務を熟したに過ぎません」 黒髪のロングヘアが美しいカーラが答える。「それに私達にはそれぞれ得意な属性があります。それを上手く分担したまでですよ」 金髪のエイルが胸を張った。 ワルキューレまたはヴァルキュリャ、ヴァルキリー「戦死者を選ぶもの」の意は、北欧神話において、戦場で生きる者と死ぬ者を定める女性、及びその軍団のことである。 北欧神話において、ワルキューレは多数存在する。みな女性
悪魔が炎によって燃え尽きたのを見届けると、カリナはカシューに連絡を取った。「聞こえていたか、カシュー?」「うん、どうやら色々と考察する余地がありそうだね」 イヤホンの向こうから、真剣なカシューの声が聞こえる。「先ずは奴の言っていたことが気にかかる。近くの街はチェスターだ。情報通りならそこに悪魔が向かっていることになる。私は急いで戻る。そっちからも援軍を出してくれないか?」「わかった、戦車部隊に戦力を乗せて全速力で向かわせるよ。それなりの距離だから間に合うか微妙だけどね」「頼んだ。とりあえず一旦切るぞ」「了解、また何かあればよろしく」 カシューの返答を聞いてから、左耳のイヤホンに注いでいた魔力を切った。急いで街に戻らなければならない。意識を切り替えて、真眼と魔眼の効果を解除した。聖衣が身体から外れて、黄金の獅子のカイザーの姿へと戻る。「お見事でした、我が主よ」「いや、お前の力がなければ危なかったよ。ありがとう、また呼んだときは頼んだぞ。ゆっくり休んでくれ」 光の粒子になってカイザーは消えていった。そして湖の中から自動回復した黒騎士達が戻って来た。ヤコフの両親を運ぶのはこの騎士達に任せるとするかと考えていたとき、背後からシルバーウイングの面々が押しかけて来た。「やったな、まさか本当に悪魔を斃してしまうとは」「ああ、すげーぜ! こっちまで興奮してきた」 アベルとロックは単独で悪魔を撃破した少女に称賛の言葉を贈る。「ええ、召喚術ってすごいのね。しかもあの召喚獣を身に纏う戦い方なんて初めて目にしたわ」「しかも結局格闘術だけで押し切ってしまいましたね。魔法剣を使うまでもなかったということでしょうか?」 エリアとセリナも興奮が抑えきれないのか、矢継ぎ早に話しかけて来る。「あれは聖衣という召喚獣の力をその身に纏う鉄壁の鎧だ。あらゆる能力が著しく向上する私の奥の手だよ。召喚獣との信頼関係がないと身に纏うことはできないけどな」 剣を使わなかったのは、格闘術だけでどこまでやれるかという実験でもあった。生身の拳では致命傷は与えられなかったが、それなりに戦えることがわかっただけでも、カリナにとっては大きな収穫になった。「そうだ、ヤコフの両親の容態はどうなってる?」「出来る限りの治療はしたから一命は取り留めたわ。でもまだ意識
カリナの格闘術の一撃で怯んだ悪魔侯爵イペス・ヘッジナだったが、すぐさま体勢を立て直し、身体から黒い炎を撒き散らしながらカリナへと突進して来た。「おのれ、小娘がっ!」 振るった大鎌が空を斬る。カリナは大振りな悪魔の攻撃に意識を集中させ、瞬歩で即座に距離を取る。そこに生まれた一瞬の隙の間に懐に飛び込み、右拳での一撃をどてっ腹の中心部に撃ち込んだ。格闘術、烈衝拳。土属性の魔力を纏った、まるで鋼鉄の様に硬化された拳の一撃。悪魔の赤黒い鎧に僅かに亀裂が走る。 カリナは召喚術が実装されるまでは基本的に剣術と格闘術を中心に熟練度を上げていた。そこへ剣技の威力を上げるために魔法を習得した。魔法剣の習得は魔力の底上げとなった。それの副次効果で、魔力を帯びた特殊な格闘術の技能も全般的に威力を向上させることに成功したのである。「がはっ、何だ……? この威力は?!」「だから言っただろう。小突いただけだとな」「小癪なっ!」 力任せの大振りの鎌を瞬歩を使用して紙一重で躱す。そのまま一気に巨体の股の下を潜り抜けて後ろを取ると、背後から風の魔力を纏った左脚での回し蹴りを見舞った。格闘術、烈風脚。悪魔の背にある翼の付け根に繰り出した蹴りが撃ち込まれる。「がああっ!」 竜巻の如き強烈な蹴りに悪魔は仰け反るが、すぐさま持ち直し、黒炎を撒き散らしながら突進して来る。 イペスの攻撃は大振りで読み易いということを既にカリナは見抜いている。しかし、それでもその巨体から繰り出される攻撃は異常な破壊力を秘めており、一撃でもまともに喰らえばかなりのダメージを負うだろう。最悪骨の数本は持っていかれる。一撃も貰うわけにはいかない。スレスレで回避する度に神経が擦り減っていく。「があああっ!」 上段から大鎌を振り被った渾身の一撃を敢えて前方に踏み込み、懐に入るようにして躱す。そのまま空振りをした硬直状態の悪魔の身体を駆け上がり、眼前で左拳を振り被る。「格闘術、紅蓮爆炎拳!」 ドゴオオオオオオッ!!! 炎の魔力を纏った高熱の拳が炸裂すると同時に頭全体を巻き込んで爆発した。衝撃で痺れる拳の代わりに、悪魔は後方へと後退る。「ぐはあああああっ!」 それでもまだこの悪魔侯爵は倒れない。やはり高位の悪魔だけあって相当に打たれ強く頑強であ
「あ、戻って来た。カリナちゃーん!」 死者の間の祭壇から帰還して来るカリナを見つけたエリアは、カリナの方へ向かって手を振った。「もう用事は済んだのか?」 ロックは口に何かを入れた状態で、手にはサンドイッチが乗せられている。「ああ、一応な。ってなんだ、食事中だったのか」 持ち込んだ食材をセリナとアベルが料理している。それをヤコフを含めた他の面々が食べているところだった。エリアもアイテムボックスから次の食材を取り出しているところだった。NPCであっても冒険者はアイテムボックスを使うことができるのかということをカリナは初めて知った。 確かにこの迷宮に挑むとき、彼らは大した荷物を持っていなかった。それはこういうことだったのかとカリナは得心した。「食事は簡単なものだが、一応拘ってやっているんだ。冒険中には腹が空くこともある。食べるってのは活力を回復させるのには一番だからな」「そういうこと。まあそんなに手の込んだ料理は作れないけどね」 アベルとセリナは起こした火の上で薄い肉や野菜を焼いて、それをパンに挟んでいる。最初にロックが手にしていたのはこれだったのかとカリナは知った。そう言えば、もう迷宮に入ってそれなりの時間が経つ。昼を回っている頃だ。カリナは自分も多少小腹が空いていることに気付かされた。「ほら、カリナ嬢ちゃんも食べな。飲み物はお茶を沸かしてある」「そうだな、お前達が食べているのを見ていたら小腹が空いて来た。じゃあ頂こうかな」 アベルからサンドイッチとお茶を受け取り、地べたに座り込む。簡単な食事だが、活力が湧いて来るのを感じる。現実の冒険であれば当然のことだが、途中で補給を行う必要がある。VAOがゲームのときにはなかった現実的な問題である。これも世界が変わった影響で、今後もこういった発見があると思うと、カリナは内心ワクワク感が湧き上がって来るのを感じた。「ヤコフ、ちゃんと食べているか?」「うん、さっき貰ったから食べたよ。美味しかった」「そうか、良かったな」 魔物をヒルダが一掃したので、辺りにはもう何の気配もない。時間が経てばリポップすることになるのだろうが、暫くは問題ないだろう。渡されたカップに注がれたお茶を啜りながらカリナはそう思った。 食事を終え、少し休憩した後、一同は地底湖のある階層に進むことに決めた。普段は何も出現しない、鍾乳洞
迷宮の扉を開けて中へと入ると、地下へと続く広い通路に階段がある。そこを降って行くと迷路の様に広がる巨大な階層へと到達した。 VAOの頃からこの迷宮は地下7層まである。その下には地底湖が広がっていて調度良い休憩場所にもなっていた。そして7層にある死者の間には巨大な鏡があり、そこでは死者に会えるという設定があった。ゲームの頃にはただの設定だったが、今や現実となったこの世界では、本当に死者に会えるのかも知れない。カリナの目的の一つは、その鏡の前で過去に死に別れたある女性との再会が可能かどうかを確かめることだった。 一行が迷宮を進んで行くと、前方から魔物の気配が近づいて来た。「おいでなすったぜ、死者の迷宮の定番。グールにスケルトンだ」 ロックがそう言って二刀のナイフを抜く。他のメンバーも戦闘の準備に入り、襲い来る魔物達をなぎ倒していくのだが、カリナは後方でヤコフの側に白騎士を待機させて眺めていた。「張り切っているなあ。このままでは私の出番はないかもしれない」「カリナお姉ちゃんも戦いに参加したいの?」「うーん、あのぐじゅぐじゅしたアンデッドに関わりたくはないのが本音かな……。できれば触りたくない、臭い」 現実となった世界では、この死者の迷宮内部の腐臭は酷いものだった。鼻がひん曲がりそうである。アンデッドが湧き続ける限り、この悪臭が続くのかと思うと、気が遠くなりそうになった。それにこのまま素直に正攻法で攻略していては時間がかなりかかりそうである。ヤコフの両親の安否も気になるため、カリナは一気にこの迷宮の魔物を掃除することに決めた。 その場で両手を広げ、魔法陣を展開させて詠唱の祝詞を唱える。「遥かヴァルハラへと繋がる道を護る者よ、炎を纏う戦乙女よ、その姿を現せ!」 重ねた魔法陣が地面へと移動し、そこから白いロングスカートに全身鎧を身に纏った戦乙女、ワルキューレが姿を現した。「お久し振りでございます、主様。ワルキューレ、ヒルダ。ここに参上致しました」 戦闘を終えて戻って来たシルバーウイングの面々も初めて見る召喚魔法とその召喚体の美しさに目を奪われている。「ああ、久し振りだな。どうやら長い時間お前達を放置してしまったみたいだ。申し訳ない。いつの間にか時が流れていたみたいでな」「いえ、こうしてまた呼んで頂き光栄でございます。さて、此度の御用は如何なもの
宿の女将さんに教えてもらった防具屋に着く。まだそれなりに早い時間帯だが、その店は既に営業を開始していた。入り口の扉に「OPEN」と書かれた札が掛けられている。カリナがヤコフを連れて店に入ると、店の店主が声を掛けて来た。「おや、いらっしゃい。こいつは可愛らしいお客さんだ。もしかして冒険者なのかい?」 店主はどうやらドワーフのようで、恰幅の良い体格、言い換えればずんぐりとした小柄の体格に顔には立派な髭を蓄えていた。手先が器用な種族で鍛冶や生産などにその能力を発揮する。ゲームプレイヤーなら誰もがある程度は知っている知識である。 その店主は、まだ幼さが残る少女が小さな子供を連れて来たので驚いたのだろう。「おはよう。店主、済まないがこの子に合う防具を見繕ってくれないだろうか?」「まあ、客の要望だから応えさせてもらうが……。こんな子供を冒険にでも連れ出すつもりなのかい?」「少々訳ありでな。この子のことは私が守る約束だが、万が一に備えてね。どうかな?」「ふむ、客の事情には深入りはせん主義だ。子供でも着れる軽い装備を準備しよう」「話が早くて助かるよ」 店主はヤコフの身体をごつい手で掴み、素早く寸法を測り終えると、身体に合うサイズの軽いレザーアーマーを着せてくれた。頭にもなめし皮で作られた頑丈な皮の帽子の様な兜を被せた。さすがドワーフだけあって、皮の製品であっても硬く、防御性能は高そうである。この装備に依存する展開が来ないことが一番だが、念には念を入れてのことである。「これでどうだ? ウチでは一番小さいサイズだが、かなり硬くなめした皮で作っているから、多少の攻撃ではびくともしないはずだ」 鎧と帽子を身に付けたヤコフが鏡の前で自分の姿を見て確かめている。「すごいね、これ。硬いのに軽いから着ていても全然苦しくないよ」「そうか、ならそれにしよう。店主、値段は幾らだろうか?」「そうだな、本当は二つ合わせて8,000セリンだが、サイズが合う人間がいなくてな。もう売れないと思っていたから5,000に負けておくよ。それでどうだ?」「わかった、それで十分だよ。ありがとう」 カリナが代金を払うと、店主から「まいどあり」という言葉が返って来た。こういう店での定番のやり取りである。「良い買い物ができた。また機会があれば寄らせてもらうよ」「おう、気を付けて行ってきな」







